皆さんは国際協力と偽善について考えたことがありますか?私は昔よく考えた時期がありました。
自分が途上国の発展やそこに住む人々のことを心から思って仕事をしているのか、或いは国際協力に従事する自分が好きなのか、いろいろな文化に触れられたりいろいろな場所に行ける国際協力の仕事が楽しいだけなのか分からなくなった時期がありました。
それがきっかけで一度このキャリアから離れたことがあります。その後自分の中で考えを整理しこの分野に戻ってきました。今日はそのことについて書きたいと思います。
結論から言うと、「国際協力をする自分が好き」、「いろいろな文化に触れられたりいろいろな場所に行けるので国際協力の仕事が楽しい」というのがモチベーションの大部分を占めていたとしても問題ないというのが私が辿り着いた答えです。何故そう思ったのかを詳しく見て行きましょう。
悩み始め
国際協力のキャリアを始めて5年程経った時、前から時々頭をよぎっていたこの問題が自分の中で徐々に大きくなってきました。
自分の行動が偽善なのかともやもやを感じながら働いていましたが、それも苦しくなり一度この分野から離れてみたいと思い当時働いていた組織に退職願を出しました。
離職してみて
退職後新しい団体に就職し計8カ月間北海道の旭川市で働きました。
当初はこれまでの悩みが解決した解放感と新しい分野の仕事の楽しさもあり、充実した毎日を過ごしていました。北海道の自然と食も素晴らしく、知床、釧路、阿寒、ニセコ、登別、稚内、帯広、小樽と休みはいろいろな所に行きました。大自然の中で自分と向き合う時間を取れたのは貴重でした。
半年ほど経ったころ自分の中で整理がつき、徐々に国際協力の分野に気持ちが戻るのを感じました。Partnerで求人を毎日のように検索したのを覚えています。
考えの整理
「途上国の発展や人々のことを心から思っていないと国際協力の仕事に就くべきではない」という考え方に私は反対です。
もちろんその気持ちを持てるのであればそれは良いことです。ただ、「国際貢献をする自分が好き」、或いは「国際協力の仕事が楽しい」というのがモチベーションの大部分を占めていたとしても全く問題ないと思います。
「自分は途上国の発展やそこに住む人々の幸せを心から考えているか?」
「自分は国際協力をやっている自分が好きなのか?」
「自分は単にいろいろな文化に触れられたりいろいろな国に行けるこの仕事を楽しいと思っているだけなのか?」
こうした考えは全て「自分」が中心にいます。自己中心的な考え方とも言えます。
支援を受ける側から見ると職員の意気込みや思いはあまり重要でなく、ニーズに沿った質の良い支援をタイムリーに受けられるかどうかが最も大切なポイントです。
国際協力団体に資金を出すドナー側からしてもそうです。その団体職員の気持ちではなく、自分たちの出したお金でニーズに沿った質の高い支援をタイムリーに届けられるかどうかが重要です。
思いが強くても質の低い支援と、弱くとも質の高い支援、実際の現場で役立つのは後者です。
ですので、「国際協力をやっている自分が好き」であっても「いろんな文化に触れられたりいろいろな国に行けるのが楽しい」であっても全く問題ありません。能力があって組織にとってプラスになる人材であればそれで充分です。「偽善なのでは?」と不安に思うことなどせず、この分野で活躍して欲しいと思います。
ただし、「国際協力をやっている自分が好き」「いろんな文化に触れられたりいろいろな国に行けるのが楽しい」がモチベーションの大部分を占めている人の場合は、自分の関わる支援が自己満足の支援や内容の薄い支援になるリスクがあることを理解し、受益者のニーズに沿った支援を行えるようよく考えるようにしましょう。